MyClipの罪悪感
罪悪感っていうのは「自分はこうするべきと思っているのに、それと違う行動をする」時に生まれるもんだと思います。キモチの悪さというか。
Clipするのが「Blogの記事」である時に起こる問題だと思いますが、
1.Clipが、相手に認識されない。
←Bloggerたる者、記事を書いたときには、相手に分かるようでなければならない。
2.Clipは、TrackBackを受け付けているのに、それを使わない。
←Bloggerたる者、(相手が許可しているなら)TrackBackすべし。
3.BlogにBlogで返していない。
←Bloggerたる者、BlogにはBlog(記事)で返すべきである。そこから、新たなネットワークが生まれるかもしれないから。
っていうか
と思ったりもしますが。そこまで言うなら、Blogの記事で書けよ!
(なお、1.は解決されそうですし、2.も似たような機能が実装されるかもしれないらしい)
このキモチの悪さは、自分の属する社会が「Blog社会」なのか「Web社会」なのか、という認識の違いによって、変わったりもするらしいですが。
んで、逆にClipしたいと思う理由は
4.ココログにログインするより手軽である。(私の場合は、F10キーで一発)
5.サイドバーに可愛く掲載される。
6.自分の中で「記事にするボリュームのレベル」というのがあり、それに達しない記事は、MyClipですまそうとする誘惑。
私は、そんな葛藤があります。
こうあるべきだ、と、こんなんでいいかな、と言う感じで。
…ま、これはMyClipの話ですが、それだけでなく、一人一人込められた想いや秘められた葛藤が、それぞれのBlogとして表出するんですよね(無意識を含む)。
そして、「Blog社会」なのか「Web社会」なのか、という事を書きましたが、その違い(葛藤の対象の違い)があるということが、Blogの目新しさなのかもしれません。
そう考えると、やっぱりBlogはおもしろい。
« 花見と女装者集団 | トップページ | 「水曜どうでしょう」を知らない都民 »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。


blog中心に物事を見ていくと、本来あるべき情報や交流が減ってしまうという感覚になっちゃうけれど、webというカテゴリーで見ればそんなことはないってことですね。
私としてはblogだけでなく、フォーラムがあったり、それ以外もあったりしますから、Clipすることに基本的に罪悪感は感じないわけですが、blog中心に物事を見ていく人がいるというのは理解できるので、罪悪感を感じてしまう人がいる、というのも理解できます (^^;
今までも、いろんなツールとそのツールに根ざした集団があって、当然の事ながら、ある集団にとってのルールや見方で見ると許容したくないことって数多くあったと思うんですが、さすがに当事者集団になると、身近から見ていることもあって、意見が力強い(笑
まあ、blogが一番影響を受けるからって事もあるでしょうが、blog以外の集団からみたら、本来、そちらにあるべき話題をblogが奪っていったと云うことも出来るわけで、clipごときで減ってしまうのかおまいらは、というふうに見ているかも知れません ヾ(^^;)
投稿: Tiger | 2004.03.30 17:49
おっしゃるとおりです。
どっちがいいか、っていうのは難しいし、甲乙をつけられないものだと思います。サイドバーにつけるMyClip、という機能で、自分のサイトが所属するコミュニケーション集団はどうなんだ、って考えることが面白いですね。人類学的です。
投稿: nako | 2004.03.30 21:47