お店の店員さんに「よろしかったでしょうか?」と言われる機会が、最近多いと思います。「よろしいですか?」「よろしいでしょうか?」と同様に使っているみたいですね。
どうも引っかかるんです。何故過去形なんだ、と。
「ご注文を繰り返させて頂きます。~でよろしかったでしょうか?」
と、まあこれはまだ良いのですが、
「コーヒーにはミルクをお入れしてよろしかったでしょうか?」
と、今までこちらが意思表示していないことに対しても、「よろしかった」を使われるケースが良くあります(追記:まだミルクは入れられていないのに、上記のような声を掛けられたのです)。「ん?」と、ちょっと耳に付くんですよね。
あまりにも回数が多いので、ただの言い間違いと言うより、ちょっとしたトレンドと捉えています。
…で、何故そう言うのか?
私が考えたところ、3つ理由が有ると思います。「ご注文を~」でも「コーヒーに~」でも同じだと思いますが、
A:本来は過去の時点で訊ねるべきだったのに、訊ねていなかったというお詫び・謙遜の意味を込めた過去型。
B:現在型の「よろしいですか?」は相手に判断を強く求める感じがする。「よろしかったでしょうか?」だと、過去の感想を訊ねる意味合いとなり、切迫感が薄れ、負担を軽減させる。
C:(これが本音だと思いますが)1や2と関連して、決定を過去の既成事実化して、「よろしくない」という回答にしたくないため。
こんな所でしょう。A・Bの丁寧語的な意味合いと、Cのかけひき的な意味合いと、二重の意味があるのではないか、と。
…で、結局「よろしかったでしょうか?」はよろしいのか?
それはつまり、受け取る側の問題でしょう。言葉が正しいかどうか、というのは、最後には話者に決定権があります。
Aの「最初に訊ねるべきだった」、あるいは「(隠れた本音?)D:あなたはコーヒーを注文するときに、ミルク入りかどうか同時に意思表示をするべきだった」と言われてしまうと、もう日本語として正しいかどうかの問題ではなくなりますね。(この辺が「よろしかったでしょうか?」を言われる方として、引っかかるところだと思いますが。)
でも、それをコミュニケーションとして成立させるかどうかは、聞く方にも権利があります。
丁寧表現と捉えれば、それはそれでいいし、話者の本音が「C」なら、それに対応すればいい。「よろしかったでしょうか?」という言葉の痛がゆさに負けず、自分の判断、意思表示をすることが大事なのです。
店員さんに「よろしかったでしょうか?」と言われて、「その表現は引っかかる」と拳を上げ、上のA~Dを並べ立てて「あなたは何故過去形なの?」と反論したりすると、かなり嫌な顔をされるでしょうけど。(^-^;
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