黒猫と赤いポストのコンビニ戦争
ローソン窓口における取扱店契約が、ヤマト運輸「宅急便」から日本郵政公社「ゆうパック」へと変更になることが発表されたのは8月17日。
ローソンとしては、宅急便とゆうパックの双方を取り扱いたかったようですが、ヤマト運輸が「ゆうパックと宅急便が両方使える状況はいやだ」と撤退する形となりました。なぜなのか。
8月26日に、ヤマト運輸は意見広告を新聞各紙朝刊に出しました(全文)。かいつまむと
郵政公社は独占事業を持ち、さらに税制上の特別優遇措置を受けている。こうした利益をもとに、自分たちが切り開いてきた市場(コンビニ取り扱いなど)で価格競争を仕掛けるのはアンフェアだ。これに対し、郵政公社も反論しています(全文)。
ゆうパックはシェアが小さいので、宅急便をすぐ不当に圧迫する状況には無い。独占事業は、ユニバーサルサービス(全国同一価格維持など)を義務付けられている特殊な事業であり、独占は当然。税制優遇も、債務超過状態からスタートすることとの引き換え条件でしかない。我々の事業はフェアだ。と、譲りません。
双方ご意見はもっともに聞こえます。この問題に対し、内田裕子さんという方が、下記のようにご意見を仰っています。
ヤマト運輸は価格競争を恐れているのでしょう。郵政公社とクロネコのガチンコ対決が進むと、その行き着く先は、値下げ競争ではないでしょうか。クロネコは大変ですが、私たち利用者にとってはこんなにいいことはありません。これが民営化のメリットですよね。違いますか?現在ヤマト運輸がこの市場において独占的な力を持っていて、その価格を適正レベルまで下げるということであれば、仰るとおりだと思います。
でも私が考えるのに、この問題は「金持ちの子供と貧乏なガキ大将が喧嘩をするのに金持ちの子供は買ってもらった金属バットで戦い、貧乏なガキ大将は素手で、腕力で戦う」というようなものに見えるのです。
そりゃ確かに、競争は技術やサービスの向上をもたらします。この状態で喧嘩をすれば、金持ちの子供は金属バットの使い方を覚え、貧乏なガキ大将はうたれ強くなるでしょう。そして、よりいっそう高度な戦いが繰り広げられることでしょう。
古代ローマのコロッセオで格闘を見るがごとく、その殺し合いを愉快に見るのも一興かも知れませんが、経済ルール、あるいは経済倫理というのは一部の試合場だけのものではなく、(ほぼ)すべての人間にあてはまるものです。我々がいるのは観客席ではなく、試合場なのです。
何でもかんでも競争主義、自由主義ということは認められていません。そのボーダーラインをどこに引くかという問題のはずです。電電公社、国鉄、専売公社の民営化と状況が異なりますので(NTTは似ているかもしれませんが)、十分に検討して、よりよい競争環境を作って欲しいものです。
私は、ユニバーサルサービスと自由競争という二つの「正義」を、長い時間つなぎ止めておける綱はもう存在しないと思っています。そう言う意味では、郵政3事業民営化という理念自体が間違っている気もするのですが…。
« 南風 | トップページ | ココログ生みの親がニフティ退職 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント