秋になった頃。
僕は彼女と話をするたび、なんとなく「わだかまり」を感じるようになっていた。彼女とは、小さいマンションに同居して、ちょうど1年くらいだった。
喋れば喋るほど、自分がさらけ出されていく、…そんな怖さがあったのかもしれない。突き詰めれば、自分に自信がなくなったのだ。
ある日。彼女がバタバタと部屋に帰ってきた。抱える袋から、ガサガサと買ってきた物を机の上に出した。クッキングホイルと、バスオイルと…
気づいた僕は、「バスオイル…、買ってきたんだね」ぼそっと言った。
ぷっくりとしたハート形で、濃い紫色をしている。水に溶けるコーティングに包まれていて、お湯に投げ込むと中のアロマオイルが溶け出す仕組み。パックに8つ入っていた。
「リラックスできるかなーって思って。なんだか最近、ぴりぴりしてるから」
僕はその言葉も気になったけど、バスオイルの方がもっと気になっていた。
なんだかバスオイルって使いづらい。「使うのがもったいない」って、強く思わされる。どうせ溶けてしまうなら、あんな形をしていなければいいのに。
そんな事を考えているうち、僕たちには沈黙が覆っていた。
彼女が出て行ったのは、その1週間後だった。
「すこし別々に暮らそう」という感じで別れた。でも僕は、彼女はもう戻ってこないと考えることにした。
ハートのバスオイルは、1つだけ残った。もちろん、使わなかった。
ある夜、風呂に入っていたとき、自分の考え自体がバスオイルみたいだな、と、ふと思った。
使わなければ本来の意味がないのに、仮の形が壊れてしまうのがイヤだから使わない。体面だけ保とうとして、意味のない会話だけを続けていた日々と似ている。
ふーっ、と、ため息をついた。
少し迷ったが、思い切って最後の一つを風呂に投げ込んだ。放物線を描き、ぽちゃんと音を立てて、水面に浮かんだ。漂っているハートを眺めているうちに、アロマオイルがミルクのように流れ出した。ほどなく、まわりはラベンダーの香りで満たされた。
彼女は、本当にこの部屋に戻ってきた。風呂から出て、決心の末、素直に「戻ってきて欲しい」と電話でたのんだ。彼女は、その夜に戻ってきてくれた。
部屋にはまだ、ラベンダーの香りが残っていたと思う。
翌日彼女は、丸い形をした、赤いバスオイルを買ってきた。「少し高いヤツなの」と照れくさそうに言っていた。何の香りだろう?と思いながら、僕は彼女に、雑誌で評判のシュークリームを買ってきたことを発表した。
心の殻を破って広がるのは、何の香りなんだろう。
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フィクションです(一応)。
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