ミニカーを本物の車に変える魔法
3さいのころの私。
よだれを垂らしながら、緑色のジュウタンに這いつくばり、右手に赤いミニカーを持って、「ぶるるーん!」とかやっていました。
こどものころの私は、想像力がとても強かったんだとおもいます。おもちゃのミニカーがあれば、スピード感や、疾走する喜びや、ごう音を感じていた気がします。言ってみれば、ミニカーを本物の車に変える魔法があったんですね。
同様に、女の子などが人形やママゴト道具を欲しがるのは、それだけで誰かをいつくしむかのような想像力を働かせることができるから。人や動物の温もりを感じ、愛情を呼び起こすのでしょう。
30さいの私。
子供の頃のように、ミニカーを欲しいと思いません。ミニカーを持っても、スピード感もごう音も感じないのです。私がおもちゃに飽きたと同時に、おもちゃが私を見捨てているというか…。
いま、想像力という魔法の衰えを、現実の車や現実の愛が埋め合わせてくれています。ミニカーよりも、おもちゃの人形よりも、高くつくけど。(^-^;
しかし、いつか現実にも飽きちゃったら…?
非現実的なモノをもとめて、もっと高くつく、ってことか?
あるいは、現実に見捨てられるってことか?
って、そんな想像はしなくてもいいんですが。
でもそう言う意味だと、「現実の車で現実的に楽しんでいる」というのも、実は「魔法」なのかも知れません。
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