お客教
仏様を敬うのが仏教。イエス・キリスト様を神様とするのがキリスト教。
お客様を神様とするのが「お客教」。(消費者至上主義、と言うか)
「お客様は神様です」「こっちはお客なんだから、あんたのその態度は何だ!」みたいな言葉が普通に世の中に流れています。
なぜなんだ?
「市場」という「ついたて」があって、その両側に供給者(業者)と需要者(客)がいる。この二者に「上下」「尊卑」があるのは、なぜなんだ?
この「卑」側の意識は、「へつらっていたほうが得をする・損をしない」ということでしょう。より多くの取引相手(客)と、より有利な取引(高く買わせるなど)をするために、こびへつらうわけです。
問題は「尊」側の意識です。
なんで、客は、そんなに偉そうなの?、と思うのです。
一つは「相手がへつらいの態度で出ている場合、偉そうな態度で臨んだ方が、交渉が有利に運べる」というのがあるかも知れません。ただ、客対供給者(店など)では、取引に関する情報は供給者側が握っているため、「へつらいの態度を見せていて、実は客の上手を行く」ということがまかり通ることになります。
あとは、人間には潜在的に「偉ぶりたい」という欲望があり、現代の世の中ではお金を使うという局面でのみ、それが可能である、という考え方。でも「偉ぶる」効用があるのは、ある量の決まった収穫物があって、それを仲間と取り合う場合に意味があるはずです(会社の中のヒエラルヒーなど)。その収穫物の量を決める、取引の場面では「偉ぶる」効用は考えれません。
ひとつひとつの取引を見ても答えは見えてきません。道路の渋滞の原因を追及するようなものでしょうか?
この尊卑が逆転することは、資本・供給物過剰な現代では考えにくいですね。社会主義国家では、これが逆だったんでしょうけど。
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ココログのメンテに関するコメント欄を見て、なんとなくそんなことを考えました。
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