植木等さんと親鸞聖人
先日亡くなられた植木等さん。追悼番組で周囲の人から語られる彼の人物像は、「コメディアンとしての顔とは裏腹に、普段はおとなしく物静かで、あまり酒も飲まずに帰宅する人」という声が多いようです。
植木さんは三重のお寺の家の生まれで、小学校卒業後に東京のお寺に修行の為、小僧として入りました。実は、そのお寺に、私の家のお墓があります。
私の曾祖母(ひいおばあちゃん)がそのころの植木等さんをよく見ていたようで、その後のコメディアンとしての顔を見ながら、「おとなしい、真面目な子だったのに」と言っていたそうです。
植木等さんは、その後芸能界を目指します。「亡くなった方のお世話より、生きている人を喜ばせたい、という気持ちだった」と、TVのVTRで本人が仰っていました。
また、Wikipediaには
「スーダラ節」の楽譜を渡された時、植木は「この曲を歌うと自分の人生が変わってしまうのでは」と悩んだ。父親に相談すると「“わかっちゃいるけどやめられない”は、親鸞聖人の生き様に通ずる」と諭され、彼は歌うことを決意した。という記述を見かけました。
晩年、TVの企画でインドに旅行し、霊鷲山(お釈迦様が説法した場所)などを見て回りながら、渥美清の気持ちが分かる、という言い方で「自分はいつまでコメディアンの顔をし続けなければいけないんだろうか?という悩みはある」と漏らしていました。
いろいろな迷いもあっただろうし、ずっと、根本を考える人だったんですね。弱い自分を認めながら「俺はコレで良いのだろうか?」という問いをし続け、真面目に生きる。生きることと格闘する。そう言った意味でも、代表的な昭和の日本人像であり、親鸞聖人的だったとも言えるかもしれません。
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