悲しい循環
とある掲示板で見た、西原理恵子さんの作品からの引用。
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ねえちゃんの夢がかなうのが、おれの夢だった。
おれはどうすればいい?
ねえちゃんの夢のために、おれはこの町で悪い事をたくさんした。
そしてこの町をもっと悪くした。
おれが悪くした。
ねえちゃんは悪い町に殺された。
おれが殺した。
おれが殺した。
おれがねえちゃんを殺した。
ゆっくり行ってくれ。
おれの大事なねえちゃんなんだ。
どうかゆっくり行ってくれ。
-西原理恵子「ぼくんち」
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西原理恵子さんの別の作品で、こういうのもありました。
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ある少年が住んでいる貧しい島が、戦争になった。
裕福になるためには勉強をしなければならない、と親に言われた。しかし銃を取らなければ、殺されてしまう。攻め込んできた青年兵士を倒して、何とか生き延びる。
「僕は勉強していないから、馬鹿だから」と、少年はやがて兵士となり、知らぬ国まで戦争をしかける。自分が戦争を仕掛けることが、どういうことか分からない。そして、知らぬ土地で、かつて自分が倒した青年兵士のように、その土地の少年に殺される。死ぬ間際に「いったい、いつ勉強すれば良かったんだ」とつぶやく。そしてその土地の少年はまた…
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マルクスの階級闘争的な、悲しい循環を描いています。人類が抱える諸問題の構造の1パターンを、わかりやすく提示しているなと思いました。
ODAやらPKOやら、ニート対策やら中小企業対策やら、徒労に終わるものの多くはこういう構造を打破できなかったからなのでしょう。こういう構造自体が、また別の構造を作っていたりしますし。
前回記事の「自己言及」とか「再帰」とかとも関係があるんだと思うんですが…。またゆっくり考えます。
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