情報の檻
買い物にせよ、政治に対する意見にせよ、「自分は正しい判断をしている」と思っていても、そうでないときがあります。
理解や判断というのは、与えられている情報をもとに行われます。しかしその情報に誤りがあったり、偏り(一部の情報だけ妙に強調されたりする状態)があれば、下そうとする判断にも誤りや偏りが生まれます。
民主主義やら世論やら、あるいは売れ筋商品やらというのも、情報によって左右されるものです。
だから、判断というのは自由な空間でされるのではなく、「与えられた情報」という檻(おり)の中でしか出来ない、と考えられます。
こういうことはみんな分かっているわけであり、マスコミ/広告代理店批判をよく見かけます。商売や政治というもの自体、檻をつくってその中に人をおびき寄せる行為に近いかも知れません。
「じゃあ、その檻からどうやって抜け出るべきか」と考えるのは重要なことです。しかし、その考え方は、ひょっとしたら、いま読んでいるこの文章によって掛けられた「檻」なのかもしれません。
そしてまた、檻から抜け出るつもりで、実は別の檻に入ってしまうこともあります(某宗教で解釈された「解脱」など、かえって塀の中に入ってしまうことに)。一方で、人間が接して理解できる情報は有限でしょうから、どこかに檻(壁?)は存在するのです。
でも、だからといって、檻の中であきらめてふてくされるのも、まあ、なんだかなぁ、と。こういう状況でもなんとかするための人間の力が、「勇気」なんですかね。
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