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2008.07.01

社会的トリアージ

 精神的にまだ秋葉原事件を引きずっております。もやもやが残っております。

 私の感情としては、今回の犯人を擁護するつもりは全くなく、数多くの方がおっしゃっている「甘ったれるな」という言葉につきます。彼の家族のせいにも、社会のせいにもしたくありません。

 でも、頭のどこかで何かが引っかかっています。その引っかかっているものが何かはまだ分かりませんが、今回の事件で、「うっ」と思ったことがあります。

 事件直後の現場で、トリアージが行われていた、ということです。

 トリアージ(フランス語で「選別」)とは、災害・事件・事故など現場で、多数の負傷者が発生した場合、現場の医師が初期診断を行い、救急搬送の優先順位を決めることです。負傷者に搬送優先順位を示したしるし(=タグ)を付けます。詳しくは[トリアージ - Wikipedia]にありますが、搬送優先順位の決め方=タグの付け方をざっと書きますと、下記の通りです。

1.基本的には重度の負傷者から優先とする。(1=赤タグ、2=黄タグ、3=緑タグ、を貼る)
2.ただし、その医師の判断で、「死亡、もしくは救命不可能」と判断した場合は、優先順位を一番後回しにする(0=黒タグ、を貼る)

 ポイントは、2.の中の「救命不可能」(まだ息はあるが、あきらめる)という判断があることです。

 なぜ「救命不可能」で黒タグを貼るのか?それは、医師の数や救急体勢にも限度がある中で、「一人でも死者を減らそう」「救える人を救おう」という思想からです。助かりそうもない人に対し救命措置をしている間に、助かるはずだった命が失われるかもしれない、という危機感からです。

 今回の秋葉原事件でも、まだ死亡はしていないが、0の黒タグを貼られた方がいた、と報道されています。

---
☆「断腸の思い」「最高の治療を」=現場で苦渋決断-派遣チーム医師・秋葉原事件
 (前略)医師は「泣く泣くというか、断腸の思いで判断した。黒は非常にショッキングなイメージがある」とした上で、「赤を付けて搬送された患者さんの中に命が救われた方がいることも理解してもらいたい」と話した。(gooニュース,時事通信)
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-080621X192.html
---

 このトリアージ、もともと阪神淡路大震災での救急医療体制の反省を受け、他の国でも取り組まれていた方法をもとに、日本に導入されたものです。トリアージが日本で初めて大規模に行われたのは、尼崎でのJR福知山線脱線事故(死者107名)だと言われています。その際も、主に黒タグを貼られた方の御遺族から、トリアージの主旨や医師の判断は受け入れるが、「なぜまだ息がある自分の家族が、黒タグに判定されたのか」という疑問は常に残る、という声があることを、NHKの検証番組で放送されていました。

 前置きが長くなりました。私が「うっ」と思ったことは、「トリアージを行った医師の判断に間違いがあったのではないか」という問題や、救急車の到着の遅れの問題ではありません。別のことです。

 それは、トリアージというシステムや、それを支える道徳観念に関することです。で、これが犯人の動機と関係があるのではないかと思ったのです。

 トリアージというシステムを採用する以上、「まだ息・脈はあり、最高の医療施設や奇跡的状況が起これば命が助かるかもしれないが、『この現場の状況では助けられそうもない』と合理的な判断がされた場合、本人の意志に反して治療が打ち切られ死に至る」という状況が起こります。理由は、治療体勢側の資源(時間×量)に限界があるからです。そして、現在の一般的な道徳観念で、「社会に資源が足りないのだから、仕方がない」ということを、是認していると考えられます。仕方がない、つまり、資源が足りないことによって、生存できるかもしれないという「未来の可能性を完全に否定してしまう」ことになります。これらを「道理」としています。

 ここで問題を飛躍させるのですが、手短に結論を言えば、犯人はあたかも自分の人生に【トリアージの黒タグ】を自分で貼りつけ、逆にその黒タグを見て、強い焦りと、同時に社会への恨みを持ったのではないか、と私は考えました。

 お前は悪いことをしたのだから、という【死刑宣告】ではなく、自分の病気が原因で助からないという【余命宣告】でもなく、また直接の特定の個人からの攻撃による【いつか殺されるという恐怖】でもありません。「資源が足りない」という社会の状況を背景にした【トリアージの黒タグ】というのに近い感覚だったのではないか、そう思いました。

 犯人は、職場や身近な人から遠ざけられ、「未来の可能性を完全に否定するぐらい、社会に資源が足りない(不安定な雇用、自分に対して冷たい)」と考えたのではないか。であれば、社会が自分を救えないということを「道理」として受け入れてしまった。そして、その考えを掲示板等に書くこと(黒タグ)により、未来の可能性を完全に(社会によって)否定されたと再認識し、強く焦りながら、その責任が社会にあると無理矢理考えたのだと思います。

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 で、こういう事件が起きないようにする為には、どうすればいいのか。そもそも、トリアージのように、「どこかであきらめる事を許容する」という考え方自体が問題なのか。または、「未来の可能性を否定できないくらいの、社会の資源」があればいいのか。あるいは、自分に対してそういう絶望的な負のレッテルを貼る行為自体に問題があり、「絶望的な負のレッテルは貼らないという行動規範」があればいいのか。

 これらのことを言い換えると、要は「希望を持ち続ける」「希望をもたせる」「希望を持つ」ということなんですよね。「希望」。うやむやで日和気味の結論ですが。

---

 …でも、そもそも、社会に強い恨みを持つことは理解できたとしても、トラックでわざと人を轢き殺したり、ナイフで人を刺すということはまったく理解が出来ません。この点に関しては、理解したいとも思いません。


--
★関連(追記)

今更振り返るトリアージ騒動 - ARTIFACT@ハテナ系

ケーキ - 福耳コラム#tb

 トリアージに関して、事件の起こる前からある議論。

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